私とブラジルポルトガル語

 思い起こせば約30年前、恥かしながら私はあまり熱心でないブラジルポルトガル語専攻の大学生でした。その頃はまだ日本に外国人の姿を見るのさえとても珍しい時代でしたので、ポルトガル語を活かした職業に就けるなんて思っても見ませんでした。そんなことを言い訳に学習意欲も上がらないままなんとなく卒業し、流通業界に就職しました。 イベント2_0002.jpg

 ところがそれから10年、日本の産業構造が変化し、大量の日系ブラジル人が次々に日本に労働移民としてやって来始めたのです。私は嬉しくなって、学生時代の教科書を引っ張り出して軽くおさらいし、片言のポルトガル語で彼らに近づくようになりました。

 イベント_0002.jpgブラジル人の多くはとても明るくフランクなので、すぐに沢山の友達ができ、毎晩のようにブラジル人家庭に招かれ夕食のはしごをするようになっていました。 イベント1.jpg

 

 

ある日、知り合いのお付合いで行ったシャンソン公演を観たときに突然インスピレーションが沸いてきて、『ブラジル人のテレビ番組をショー仕立てでプロディユースしたらおもしろいだろ〜な』とワクワク感が納まらなかった私は、ついに一人のブラジル人にそのアイデアを話してしまいました。すると彼は『日本で始めてのブラジル人のテレビ番組の制作』という事で大いに舞上がり、なんとあっという間にとても有能なスタッフを4人集め、イベント企画から多くの出演者までを決めてしまっていました。地元のテレビ局やスポンサーの協力を得て、のど自慢・ダンスコンテスト・美人コンテストそしてバンドコンテストといった盛り沢山のイベントは3地域で3回行われ、それぞれ30分番組に編集して放送されました。 イベント_0003.jpg

 審査員として、ソニーミュージックから、NHK、在日ブラジル大使、はたまたカンヌ映画祭受賞作品ブラジル映画『Gaijin』の主人公キョウコツカモトさんまで来て下さいました。実はそれがきっかけで、出演者の一人はブラジルに帰って女優としての道を歩み、もう一人は日本でスカウトされてモデルになりました。またNHKののど自慢大会で全国優勝した日系ブラジル人もいました。雑誌『AERA』に取材記事が掲載されたり、単行本の中で紹介されていたりで全てが勝手に動き出して、シンクロニシティーの連続と言うか、まさに目に見えない何か大きな力がこの企画を後押ししているのを感じざるを得ない感動体験でした。 イベント_0001.jpg

 その後私は通信事業を立ち上げてブラジル人スタッフに囲まれて仕事をするようになりました。その時も優秀なブラジル人に支えられて、一時期は業界でもトップクラスの業績をあげることができました。 イベント2_0001.jpg

 

私にとってポルトガル語は夢体験の入り口で、それを実現させてくれたのは素晴らしい才能を持った人たちとの出会いでした。

 

今日インターネットという文明の利器の普及により世界はより身近になり、時間と距離を越えて地球の裏側に住む人々と居ながらにして交流することが可能となりました。

 異国の地から直接ライブでレッスンを受けるということは、CDやDVDで学ぶのと違い、異文化で育った人間どうしの心の触れ合いの場でもあります。 イベント2_0003.jpg

 ブラジル人講師は、日本人がポルトガル語を習得する為のお手伝いをすることに大きな意義を見出し、このサービスに携わることに喜びを感じています。

 

私達は、皆さんがこのシステムを活用することによって、単にコミュニケーションの手段を身につけるというだけでなく、ポルトガル語という言葉を通して、その延長線上に広がる人それぞれの夢をより鮮明に描くためのお手伝いが出来れば嬉しい限りです。

 

株式会社ブリックステクノロジー

代表取締役 佐々木匡洋

kukulcanet.com